記事内に広告が含まれています。

突然の別れと向き合う日々──老健のリハビリ現場から

介護の現場から

「家に帰る(帰す)」を目標に、歩みを重ねてきた日々。その途上で訪れる突然の別れは、職員にとってもご家族にとっても、静かに大きな波となって押し寄せます。

つい昨日までの笑顔が残る場所で

最近、私の職場では突然のお別れが続いています。皆さま100歳に近いご高齢で、「仕方のないところもある」と頭では分かっていても、心は追いつかないことがあります。

リハビリは「家に帰る(帰す)」つもりで取り組むからこそ、別れの重さも増します。担当でなくても胸が詰まるのに、担当者の辛さは計り知れません。
当日は気が張っていても、あとからじわじわと喪失感がやってくる──

「あぁ、もうここでお食事をされることはないんだな」
「ここで立つ練習をしていたよな」
「お子さん達が『早く家に帰れるように、リハビリ頑張って』って言っていたな」

キューブラー・ロスの「死の受容」を思い出す

学生の頃に学んだ、キューブラー・ロスの死の受容の5段階を思い出します。これは、人が死に直面したときに経験しうる心理過程を示したものです(順番通りに進むとは限らず、行き来もあります)。

  1. 否認:自分に起きている現実を受け入れられない。
  2. 怒り:なぜ自分が──という怒りや不満が向かう。
  3. 取引:神や運命に「もう少しだけ」と交渉しようとする。
  4. 抑うつ:取引が叶わないと悟り、深い悲しみや無力感に包まれる。
  5. 受容:静かに現実を受け入れ、心に安寧が訪れる。

ご本人だけでなく、ご家族もまた、いまどこかの段階にいるのかもしれません。私たち職員は専門職である前に一人の人間として、その揺れに触れながら共に時間を過ごしています。

ご家族への敬意と祈り

私の勤務する老健では、働きながらも面会に足を運ぶご家族が本当に多く、頭の下がる思いです。忙しさの中で顔を見せ、声をかけ、手を握る──その一つひとつが、どれほどご本人の力になっていたかを思います。

「やり切った」と感じられますように。悲しみが少しずつ形を変え、穏やかな記憶へとほどけていきますように。心から祈っています。

ケアをする側の心を守る、小さな習慣

  • ミニ・デブリーフ:その日のうちに3分だけ、気づきと感情をメモに残す。
  • 同僚への一声:「今日はありがとう」「辛かったね」を言葉にする。
  • 儀式化:ベッドサイドを整え、お茶や花をそっと置くなど、自分なりの区切りを作る。
  • 身体をほぐす:深呼吸、肩回し、短い散歩。まずは身体から。
  • 必要な相談:溜め込まず、上長・同僚・専門窓口へ早めにシェア。

「感じないようにする」よりも、「感じた自分を大切にする」。それが、明日のケアの力になります。

明日も、「家に帰る」を胸に

喪失感は、私たちが本気で関わってきた証でもあります。
その痛みと優しさをたずさえて、明日もまた「家に帰る」という希望に向けて、ひとつずつ積み重ねていきたいと思います。

※本記事は、老健のリハビリ現場で日々感じることの記録です。個人の体験に基づく内容であり、全ての場面に当てはまるわけではありません。

コメント