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老健の「在宅復帰率」というプレッシャーのウラ側

介護

老健って「帰る場所」がある人のための施設

老健、という施設があります。

正式名称は「介護老人保健施設」。

名前が長いので、現場では「老健」と呼ばれることがほとんどです。

老健には、ひとつ大きな特徴があります。

それが在宅復帰率という指標。

「どれだけの利用者を自宅に帰せたか」を数値化したもので、施設の評価に直結しています。

だから老健は、構造上「自宅に帰してなんぼ」の施設なのです。

リハビリを頑張る。体を整える。生活機能を戻す。そして、自宅へ。

本来はその流れが、正しい老健の使い方です。

在宅復帰率という数字のリアル

理学療法士として老健で働いていると、この「在宅復帰率」という数字が、常にどこかにあります。

良い数字が出れば、施設の評価が上がる。

加算がつく。経営にも関わる。

だから施設側は、正直なところ、帰れる人には帰ってもらいたい。

でもそれって、「帰れる人」前提の話です。

帰れない事情がある人には、この「在宅復帰率」という存在が、ちょっと重くのしかかってくるのです。

「どこにも行けない人」が向かう場所

退院が迫っている。

でも、自宅には帰れそうもない。

家族も受け入れ困難。介護できる人もいない。

そういうとき「とりあえず老健に」という流れがあります。

これは珍しいケースでは、全然ありません。

病院から直接老健へ。

「次の場所を探すための時間稼ぎ」として、老健が使われることがある、というのが現実です。

有料老人ホーム・特養・老健、それぞれの壁

ここで整理しておくと、

特養(特別養護老人ホーム)は、要介護3以上でないと申し込みすらできません。

しかも申し込んでから入れるまでに、何年もかかることがあります。

有料老人ホームは、比較的早く入れるところも多いのですが、費用が高い。

月15〜30万円、施設によってはそれ以上かかることも。

「早く動けば入れる」けど「お金がないと動けない」という現実があります。

そうなると、消去法で残るのが老健です。

要介護状態であれば利用できる。

リハビリもある。

費用は有料老人ホームほど高くない。

家族としても「リハビリしてもらってます」と言えるから、少し罪悪感が薄れる。

この微妙な心理、PT目線からするとよくわかります。

家族が「もう少し置いてください」と言うとき

こういう背景があると、家族から「もう少し老健に置いてもらえませんか」という相談が来ます。

在宅復帰を諦めた、でも次の行き先が決まっていない。

だから今すぐ動けない、という状況です。

施設側としては、在宅復帰率という指標がある中で、「帰れそうもない方に長くいてもらうこと」には、制度上のプレッシャーがかかります。

利用者と家族の事情と、施設の制度的な都合が、ここでぶつかるのです。

悪いのは誰でもない。

でも、制度の設計上、誰かが割を食う構造になっています。

病院という選択肢の怖さ

うちの父の話をすると。

認知症が進んで、一時的に精神科の閉鎖病棟に入院していた時期がありました。

病院によっては、鉄格子で区切られた空間の中に入れられていて、

家族はその中には入れない、という状況もありました。

また別の病院では、薬を調整されて、ほとんど動けない状態になったこともありました。

「病院に入れておけば安心」ではないのです。

それを体験した家族としては、老健の「ある種のアットホームさ」「リハビリがある」「家族が関われる」という点が、ちゃんと見えています。

だから、老健に置いてもらいたいという気持ちは、甘えでも何でもない。

むしろ、必死に考えた末の選択なのです。

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制度の狭間で揺れる人たちへ

在宅復帰率という数字は、老健のあるべき姿を示す指標としては意味があります。

でも、「帰れない事情がある人」が増えている現実の中では、

その数字が、家族の首を少しずつ締めることにもなりえます。

施設が悪いのでも、家族が悪いのでも、ない。

制度の想定と現実の間に、大きなズレが生まれているということ。

それを現場で日々感じながら、それでもリハビリを続けています。

「次の場所が見つかるまで、少しでも状態を維持できるように」

その気持ちは、在宅復帰率には表れないけれど、確かにそこにあります。

この現実が、もう少し知られますように。

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