先日、「かくかくしかじか」をみたのですが、、、
自分の大学時代のことを思い出して、なんとも言えない気持ちになりました。
お金はなかったけど、自由だけはたくさんあって。
本当はちゃんと勉強しなきゃいけないのに、
勉強するふりして、なんとなく遊んで、
時間だけが流れていったあの頃。
「自分って、何してるんだろう」
って、時々よぎる不安を見て見ぬふりしていた気がします。
そんな私が、少しずつ変わり始めたのは——
2期目の実習からでした。
私の担当になったバイザーはタケシ先生。
何人もの実習生を見てきたベテランの方でした。
最初の頃の私は、どこか他人事で、
「どうせ学生なんだから」と、甘えた気持ちも正直あったと思います。
でも、タケシ先生は、そんな私の“ごまかし”をすぐに見抜いていました。
私が担当したのは、視床出血の後遺症で片麻痺のあるおばあちゃんでした。
正直、それまで片麻痺の方に接したことは一度もなく、
トランスファー(移乗動作)なんて、まともにできなかったんです。
学校では友達相手に形だけの練習をしていただけ。
でも、実際の現場はまるで違いました。
「えっと……どっち側から移すんだっけ……?」
混乱して、頭が真っ白に。
おばあちゃんを前に、私は完全にパニック状態でした。
そんな私を見ていたバイザーは、検査が終わった後、
静かに、でもはっきりとこう言いました。
「今日中に、タマコ先生にトランスファーの仕方を教わっておいて。」
タマコ先生は、院内で看護師さん向けに指導をしていたリハの先生。
厳しいけれど、誰よりも的確に動きを教えてくれると有名な人でした。
タマコ先生は、診療が終わったあとに時間を作ってくれて、
私に片麻痺の方へのトランスファーを一つひとつ丁寧に教えてくれました。
・非麻痺側から移ること
・車椅子はベッドに対して45度に置くこと
・移った先で足の位置がどうなるか、あらかじめ予測しておくこと
・もし膝折れしてしまった時にカバーできるよう、自分の足をどう置くか
・体を密着させて支えること
・どこを介助すべきか
・そして、腰を痛めない体の使い方……。
先生の動きは、どれも無駄がなくて美しかった。
私はただ「技術」だけでなく、「プロとしての姿勢」も見せられた気がしました。
タマコ先生の動きを見ながら、私、思いました。
**「私の練習って、本当に上っ面だけだったんだな」**って。
友達と交代でなんとなくやっていたトランスファー。
重心も、足の位置も、相手の体の動きも、
何ひとつ“感じて”いなかったことに、ようやく気づきました。
患者さんの体は、生きている。
呼吸していて、怖がっていて、支えを待っている。
先生の手が、患者さんの不安ごと、まるごと包み込んでいるように見えて、
私はなんだか、泣きそうになりました。
タマコ先生との時間は、技術以上の学びだった。
患者さんにどう向き合うか、自分の体でどう支えるか——その姿勢が、私の中の何かを確かに揺さぶった。
でもその機会をくれたのは、他でもないタケシ先生だった。
あの人は何も言わずに、でも確かに私を見て、必要なタイミングで手を打ってくれていた。
少しだけ、自分が変わり始めた気がした。
……とはいえ、当時の私はまだまだポンコツで。
本当の“覚醒”は、もう少し先の話になる。
※ブログに登場する名前はすべて仮名です。人物名はすべてカタカナ3文字で統一し、実在の個人とは無関係です。
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