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分かっているけど、気持ちが追いつかない日

介護の現場から

入所中の方に、後見人さんが立ちました。
司法書士さんです。

制度としては、必要な流れ。
頭では分かっている。
でも、気持ちが追いつかない。
そんな場面に立ち会いました。


思っていたより、現金は少なかった

すべての預貯金を確認してみると、
「思っていたより、現金が少ない」ことが分かりました。

倒れる直前まで仕事をしていて、
年金も受給していて、
持ち家のマンションもある。

正直、
「お金に困っているようには見えなかった」
というのが本音です。

でも、現実は違いました。

入院と入所が重なり、
医療費や生活費が一気に出ていき、
弟さんが立て替えてくれていた分も、かなりの額になっていました。


弟さんは、できることを全部やっていた

お母様はご存命ですが、すでに施設入所中。
弟さんは遠方に住んでいて、まだ働いています。

倒れた直後は仕事を調整して駆けつけ、
支払い、手続き、役所対応…。
できることは、すべて引き受けてくれていました。

でも、
移動するだけで出費がかかり、
休めば仕事に影響が出る。
しかも、本人は失語があり、
資産の全体像をうまく教えてくれない(教えられない)。

「これは、続かない」

そう判断して、後見人を立てることを決めた弟さん。
それは冷たさではなく、
続けるための選択だったと思います。


後見人さんの提案は、とても現実的だった

司法書士さんからの提案は、こうでした。

  • 車とマンションを売却して現金を作る
  • まずは弟さんへの立て替え分を返金
  • 年金と現金を合わせて、
    長く生活できそうな有料老人ホームを探す

とても合理的で、
「詰む前に動く」ための提案です。

お金が尽きてからでは、
選択肢は残りません。


「分かるけど、待ってほしい」

本人は言いました。

「言っていることは、よく分かる」
「でも、ちょっと待ってほしい」

判断ができていないわけではありません。
むしろ、分かっているからこそ、
心が追いつかない。

病気で倒れ、
仕事を失い、
自宅に戻れず、
今度はマンションと車を手放す話。

これは、
生活の話というより、
喪失の話なのだと思います。


1か月後に、もう一度話し合うことになった

結論は先送り。
1か月後に、また話し合うことになりました。

この1か月は、
決断を先延ばしにする時間ではなく、
気持ちを整理するための時間

そうであってほしいと思っています。


帰せるものなら、帰したい。でも…

施設としても、
帰せるものならば自宅に帰してあげたい。

でも現実には、
夜間のトイレ失敗があり、
2週に1回は服やシーツ、ベッドマットの交換。

今の体で、
一人暮らしを続けるのは、正直かなり厳しい。

「若いから特養は忍びない」
その気持ちも、よく分かります。

でも、
年齢よりも大切なのは、生活が破綻しないこと


誰も悪くない

このケースに、
誰もが納得する正解はありません。

  • 後見人さんは、現実を見ている
  • 弟さんは、限界まで頑張っている
  • 本人は、ちゃんと分かっている
  • 施設も、悩みながら関わっている

ただひとつ言えるのは、
誰も悪くないということ。


「決めた」のではなく、「そうならざるを得なかった」

最終的にどんな選択になっても、
それは誰かが一方的に決めたのではなく、

体の状態、
お金の現実、
家族の距離、
それらが重なった結果。

そう整理できたとき、
少しだけ、心が軽くなる気がします。

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