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「転ばせないでください」と言われたとき、私たちは何を守るべきか

介護

家族が施設に入るとき、職員さんに希望を聞かれたら、あなたはどう答えますか?

「転ばないようにしてほしい」
「安全に過ごしてほしい」

きっと多くの人が、そう答えると思います。

でも――その希望は、果たして妥当なのでしょうか。

家族の「圧」がかかってきた

「とにかく転ばせないでください」

入所してきたばかりの利用者さんの家族から、そう言われました。

語気は強くはなかったけれど、圧は確かにそこにありました。

転ばせないでほしい。

それは当然の願いだと思います。

家族が大切な人を施設に預けるとき、「安全でいてほしい」という気持ちは当たり前だから。

でも――私たちは少し、立ち止まって考えました。

本人の言い分と、現場が見えたこと

この利用者さん、ADLはほぼ自立しています。

食事も、移動も、トイレも。「全部自分でできます」という言葉のとおり、動ける方です。

ただ、気になることが一つ。

車椅子のブレーキのかけ忘れが、ある。

前の施設からの申し送りにもありました。「ブレーキの確認を促してください」と。

なので、私が声をかけました。

「ブレーキ、かけてみましょうか」

すると――少し、表情が変わりました。

「わかってます。自分でできます」

否定、というよりは、興奮に近い。

自分のことを「できない人」として見られることへの抵抗、なんだと思います。

そうですよね。

ずっと自分でやってきた人が、いきなり「確認させてください」と言われたら。

「あなたは信用できない」と言われているように聞こえるかもしれない。

転倒リスクを「受け入れる」という判断

現場で話し合いました。

この方の目標は、自宅復帰。

家に帰るということは、施設のようにスタッフが常にそばにいるわけではない。

自分でブレーキをかけて、自分で立って、自分で動く。その力を、ここで維持しないといけない。

「多少の転倒リスクは、ある」

それを承知で、本人の自立を尊重しよう。そう決めました。

これは「転んでもいい」という話ではありません。

「転ばせないために、動かさない」を選んだとき、何が起きるかを考えた、ということです。

動かなければ筋力は落ちる。

歩かなければ歩けなくなる。

施設で「安全に過ごせた」のに、家に帰ったら歩けなかった――

それは、誰かの「安全」を守ったことになるのだろうか。

私にはそう思えないのです。

安全とは何か、を問い直す

「転ばせないでください」という家族の声は、本物の愛情からくるものです。

それを否定したいわけじゃない。

ただ、リハビリの現場では「どんな安全を守るか」を、常に選び続けています。

今日転ばないこと。

3ヶ月後に歩けていること。

半年後に家で暮らせていること。

どれも「安全」だけど、全部は同時に守れないことがある。

そのジレンマを抱えながら、それでも私たちは「その人らしく生きること」を軸に置きたいと思っています。

「転ばせないでください」という言葉を受け取りながら、「この人が家で歩ける未来」も同時に守りたい。

ポテチは、今日もそのバランスを探しています。

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